今のところカンボジアに戦闘再開の兆しは見えず、ボスニア・ヘルツェゴビナには未だ不穏が漂い、戦闘継続中のイラクでは開戦の条件が果して存在したのかなどと全く首尾反対の話が盛んである。当事者にして見れば冗談じゃないよと気色張るぐらいでは済まない事実である。 待てないと云うことで明石事務次長はアナン事務總長によって馘首されてしまったが、冗談じゃないはこちらのことで、よく見れば解決したと云えそうなの は、実は話し合いのカンボジアだけだったのである。何もゆっくりやってよいと云うことはないが、一刻を惜しんで問題を解決しながら進んでも、時間はかかる。しかし、これでなくてはならないので、何もしなかったり、いい加減にしておいたり、追求しようとしなかったりと云うのがよいと云うのでは全くない。ベストを盡くして根気よくと云うことである。そんな精神は実は北アジアの精神であって、和の心であるが、下手をすれば、刺し殺されてしまうと云う危険を冒して相手の事情を察する必要がある。 これがアジアの和の心で、生微温いと云うことではない。相手の立場も考えながら激しくやり合って到達するのが和 の心である。自分にも神がおわすが相手にも神が居られる。これを認めてゆくところにアジアの心がある。汝の敵を討て、相手の神は邪神だなどと云うのはアジアの心ではない。これ正に宮澤賢治であり新渡戸稲造である。これが国際聯盟になり国際連合になったのだ。 今や全世界にアジアの心をアッピールする時が来ている。我々は全世界に誇る先達を持った。この考えを伝え、この考えに基いた政策を、科学技術を全世界に示してゆくこそ、我々アジアの末裔の義務ではないか。そのためにこそ、我々は生業のわざを習いつつあることを忘れてはならない。素晴しい救民の学問研 究を実施した田中舘愛橘あり、それに基いて立案した後藤新平あり、皆諸君の先達である。 平成16年4月 岩手県立大学長 西 澤 潤 一 | ||
岩手県立大学 学長 西 澤 潤 一 |